乳がんの記録

乳がんになりました。ステージⅠbでした。同じ境遇におかれるかたのために、参考になればいいなと思いました。そんな中、くるぶしを骨折、その後、右手首にヒビ、落ち着いたと思ったら虫垂炎…。まとめて記録していきます。

06:51に受付を済ませ、血液検査の番号札を取る。
今日は6番。
消化器外科の順番は1番だけれども、この時間で6番とは…。

セブンイレブンでパンとコーヒーを買って
番号札の引換えスタートの8時まで、時間をつぶす。

早く行った甲斐あって、血液検査は第一スパンで対応いただき
08:10には消化器外科へ受付出来た。
08:40、診察開始。

血液検査結果、問題なし。
切除した虫垂の病理結果、問題なし。
おへそに残っていたテープも剥がされ、晴れて治療終了となった。
お会計700円なり。

ところで、虫垂炎と気づく数年前から、私は左側に腰痛があった。
飲み過ぎたなと思うと、腰痛があり、自分では「肝臓が弱っているのか?」と
考えていたが、腰痛があった事を先生に告げると

 ●●さんの場合、虫垂の位置が背中側だったから
 そのせいかも知れませんね

背中側とかお腹側とかもあったのか…。
現時点では、おへそを深くまで押せば多少の痛みはあるものの
痛みと感じるレベルの感覚は皆無だ。
腹腔鏡手術、素晴らしい。

これで、しばらくは「聖路加、卒業」といきたい。
先生、ありがとうございました。
タイトルなし
乳がん手術日を0として本日833日目、ホルモン剤治療818日目、放射線治療終了後772日目。
骨折から642日目、手術日から635日目、ヒビ516日目、腸に穴疑惑193日目、虫垂切除20日目。

勝手に取れるまで放っておくよう言われていた、傷上の
テープが取れた、2月13日に、まず1ヶ所。
内出血はいずれ消えるとして、左側の傷は1cm程度だ。
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そして。2月14日に、もう1ヶ所。
スクリーンショット 2024-02-18 095312
こちらも1cm程度。
残すはおへそのテープのみだが、元々凹んでいる場所なので
まだテープがとれる気配はない。

13日に取れた方の傷は「NISA」
14日に取れた方の傷は「バレンタイン」と名付けた。

痛みはもう無い、皆無だ。
炭酸ガスも、抜けきったよう。

乳がん手術日を0として本日828日目、ホルモン剤治療813日目、放射線治療終了後767日目。
骨折から637日目、手術日から630日目、ヒビ511日目、腸に穴疑惑188日目、虫垂切除15日目。

腹腔鏡手術では、下図の赤い部分に「炭酸ガス」を注入する。
タイトルなし
膨らまして、ハサミで ちょきちょき するためだ。
手術が終わっても、注入した炭酸ガスは抜かないため
おへそを境に、上下が膨らんでいる。

私はてっきり、いわゆる「おなら」として抜けるものと思っていたが
その手術の炭酸ガスは腸には入れていないため
2週間くらいかけて、概ね肩のあたりから少しずつ
抜けるのだそう。

退院日の翌日(1日目)、痛み止め(カロナール)は、全8錠/日、服用。
2日目、3錠/日。
3日目、2錠/日。

4日目、油断してくしゃみをしたら、上から2番目の傷に
衝撃が走ってしまって、ひとり悶絶した。
5日目、横向きに寝ても痛くなくなった。
6日目、おへその上の膨らみが、なんとなく治まってきた。

退院手続後、診療明細を見ると、今回の手術の名称が記載されていた。
スクリーンショット 2024-02-12 203957
長い。(笑)
執刀医の先生も、看護師さんも、癒着が酷くて大変だったと
仰っていたので、その癒着の有無で、要するにレセプトの点数が
変わるのだろうと思った。

今回の虫垂炎騒動では、退院した日の夜が、一番痛みを感じたと思う。
痛みと言っても、強めの筋肉痛程度だが、仰向けでしか寝られなかった。
横向きに寝ると、傷が引っ張れる感じで痛い。

退院した日は、痛み止め「カロナール」を、2錠/回、2回服用した。


【手術翌日】
14:20、看護師さんから「退院後の説明」を受け、その後シャワーを浴びた。

今回は2泊3日で、初日が手術着で寝たきりなのが分かっていたため
レンタルのパジャマやタオルは止めて、1セットだけ家から持って来た。
個室の中の、トイレと一緒のシャワー室で、シャワーカーテンを閉めて
シャワーを浴びる。
アメニティのシャンプー等もあったけれども、今回は、前回購入した残りを
持ち込んだ。

15:15、また国会答弁、公明党の石井さんだった。
  点滴の針が抜けそうとの事で、看護師さんがテープを貼り替えに来てくれた。

17:30、担当(執刀)医が、若いお医者さんを引き連れて回診。
18:00、夕食。
19:00、せっかく張り替えたのに、点滴の針を抜いてもらえた。

夜になって、さすがに眠れないかなと思っていたけれども
昨日、眠れなかったせいか、点滴の針が無くなったせいか
ぐっすり眠る事が出来た。

【退院当日】
08:15、担当(執刀)医が、ぽろっと現れ、貼ってあったテープを剥がしてくれた。
  術後1日目に痛みのピークが来る人が多いのだそう。
  それが本当なら、腹腔鏡手術は、あまり痛みがないのだなと思った。

09:30、退院。お会計、267,120円。

退院まで、一旦終わり。

04:50、寒さで目覚める。
  トイレに行く時は看護師さんを呼べと言われていたけれども
  寝ぼけたふりして単独行動。(看護師さん、ごめんなさい)

入院中の楽しみの1つが「尿量計測」だ。
トイレには、尿量を図るためのメモリ付きのカップや
便座にセットする専用のメモリ付き容器がある。
今回の入院での最高スコア850ml。
日頃から我慢しがちなだけあって、膀胱の筋肉は健在だ。

06:00、採血、まだ声がほぼ出ない。
07:15、血圧測定(96/59)、痛み止め服用。
08:30、担当(執刀)医の回診、麻酔医の回診、若手医集団の回診、主治医の回診と続く。
  病棟の朝は忙しい。
09:45、ホルモン剤(エキスセメスタン)内服。
10:10、担当(執刀)医が血液検査の結果を届けてくれる。
  「問題ありませんね、お昼からお食事摂ってください」との事。
12:25、いきなり普通食、痛み止め他服用。
  スクリーンショット 2024-02-04 111143
13:15、担当(執刀)医が「明日退院ね」と伝えに来てくれた。
  この後、先生はまた手術のはず…。本当に大変な仕事だ…。
14:00、午後のロードショー『アナコンダvs.殺人クロコダイル』を観ようと
  ワクワクしながらも、20分後くらいには眠りに落ち、結局観るのを止めた。

続く。

23:00、初水分摂取。

聖路加国際病院も、がんセンターも、多分、多くの病院は
パラマウントベッドなのだと思う。
コントローラーの一番上「カインド」という機能が優れていて
スクリーンショット 2024-02-04 101802
上半身を起こす時に、お尻位置がズレないよう、まず膝の角度をつける。
その後、上半身を起こしつつ、徐々に膝の角度を戻していく。
今回、私のベストポジションは、頭38度、足20度だった。
TVを観たり、そのまま眠ったり、どちらも快適。

夜になって、病棟も静かになると、いろいろな音が良く聞こえる。
苦しいのか、痛いのか、カラスのようにアーアーと鳴いている人がいたり
看護師さんが走り回るパタパタと乾いた足音が聞こえたり
乳がんの時、骨折の時然り、比較的軽い症状で入院していて、申し訳なさが募る。

ナースセンターからは、多分ナースコールからの呼び出し音なのだろとう思うが
エルガーのアレが頻繁に聞こえた。

続く。

点滴も終わりそうなタイミングを見計らってナースコール。
スピーカーからは、”どうされましたか?”と問われたけれども
全く声が出ず、"すぐ行きます" との声。

私はトイレに行きたくて、看護師さんをお呼びした訳だけれども
来てくださったのは、男性の看護師さんだった。
社内的な性別、所謂ジェンダー
看護師さんは女性的な感覚は私にも根付いている。
今回は尿道カテーテルも既になく、フットマッサージャーと点滴だけとなってるため
そこまで身構える事はなかったが、やはり女性の看護師さんを望む自分がいた。

フットマッサージャーを外して、ゆっくり身を起こして、足をベッドから降ろす。
簡易な靴を履くのもサポートしていただき、点滴のスタンドと共に
室内のトイレへ移動する。

 用を足し終えたら、また呼んでください

虫垂レス初のおしっこだ。
用を足し終えてたものの、T字帯で少々手間取った。
右往左往している間に、大丈夫ですか?と先ほどの看護師さん。
点滴スタンドを押して、ベッドに戻ろうとした時に、多少フラっとした。

 今、ふらつきましたね!!!

声があまり出ないから、よくある事だとは言わなかった。
フットマッサージャーをまた装着するのかと思ったが、もう不要だと
片付けられてしまった。
無い方が快適だ。

続く。

18:30、執刀の先生の回診。
  聖路加病院は、執刀の先生がお一人でポロっと病室を訪ねて来られる。
  だいぶ意識もしっかりしていたと思う。
  癒着が酷くて、硬化してしまった部分で取り切れない部分があったそう。
  今日より、明日の方が痛いと思うが、痛み止めを飲むから安心せよ、との事。

19:40、酸素マスクを取ってもらう。例によって声は出ない。
  お見苦しいけれども、術後のお腹はこんな状態だった。
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  見えてる部分がおへそを含む2ヶ所、もう1ヶ所はT字帯の下だ。
  傷口は3ヶ所だけ、さすが腹腔鏡手術。

トイレに行きたくなったら、ナースコールで呼んでくれと言う指示。
起き上がる時の痛みを想像して、出来るだけ我慢しようとTVに集中した。
プロフェッショナル 仕事の流儀 再建外科医 山本匠』
こんな時に外科医の回だなんて、タイムリーだと思いながら
膀胱もそろそろ限界が近かった。

続く。

目に入ったボード。
スクリーンショット 2024-02-02 201451
 手術 お疲れさまでした

とんでもない、私なんて寝てただけで
お疲れなのは、みなさんの方でしょう?
こんなに有難い「お疲れさま」をいただけるなんて
朦朧としながらも、本当に恐悦至極でした。

それからしばらく朦朧としながら
ずっと「マツケンサンバ」が脳裏に響き渡っていて
終始、賑やかで楽しい感じで、麻酔効果が薄れて行く時間を堪能しました。

特に、酸素マスクのフィット感、今までで一番ナイス。
フットマッサージャーもなかなかいい感じ。
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続く。





乳がん、骨折、虫垂炎。
私の「外科3部作」が完成だ、そんな事を思いつつ
骨折の時同様、熱いくらいのベッドに横たわった。

そそくさと、いろんな線やらチューブやらを取り付けられる中
私のおでこに、1人の男性が不器用そうに何かを貼っている。
そのたどたどしい面持ちと、周囲の冷ややかな空気が可笑しくて
ニヤニヤしながら、麻酔に眠らされていった。

気づくと執刀の先生が「切った部分、見ますか?」と
お豆腐のパックみたいな容器に、しょぼくれた細いしなしなのチャンジャのような
4-5cmくらいだったか?、そんなエノキのような物体を見せてくれた。

 癒着が酷くて、虫垂も原型をとどめていませんでしたよ

癒着が酷い=時間がかかったはず、と言うのは察する事が出来て
申し訳ない気分でいっぱいになって、次に気づいたのは
17:45で、もう病室だった。

続く。

平日の8時台の築地駅は、改札を出られない程、地上へ上がる階段が混んでいる。
そんな状況だからと言う訳でもないが、自転車で聖路加国際病院へ向かった。
ウチから病院までは20分かからない。

09:00、入院受付、3回目。
  受付からも「前回と同じ」と言われてしまう始末…。
  部屋へ着くと、さっそく手術着を渡された。
09:30、執刀の先生がわざわざ点滴の針を刺しに来られた。
  案の定、テープから血と点滴が漏れた。
  スクリーンショット 2024-02-02 194425
10:00、TVで国会答弁を観る、泉さんの質問が続く。
13:30、いよいよT字帯着用。
13:45、一般診療病棟にある手術室へ歩いて向かう。
14:00、執刀医他、関係者のみなさんと対面
  なんとなく他人事のような心持ちだった。

続く。

乳がん手術日を0として本日814日目、ホルモン剤治療799日目、放射線治療終了後753日目。
骨折から623日目、手術日から616日目、ヒビ497日目、腸に穴疑惑174日目、虫垂切除1日目。

昨日の聖路加国際病院に続き、今日はがんセンター。
いずれもウチからは、自転車で20分程度だけれども
さすがに冬は寒い。

昨日同様、朝1で採血。
今朝は8時少し前に受付をして、採血の番号は75番。
15分程度の待ち時間で採血終了した。

その後、診察。
「タモキシフェン」から「エキセメスタン」に変えて
23日が経過した。
当初、唇に少しだけ痺れがあったが、もう全くない。
採血の結果も問題なしとの事で、処方箋は90日分となった。

お会計、2,620円。
お薬90日分、4,500円。

乳がん手術日を0として本日806日目、ホルモン剤治療791日目、放射線治療終了後745日目。
骨折から615日目、手術日から608日目、ヒビ489日目、腸に穴疑惑166日目。

9日後に(虫垂炎の)「入院&手術」を控え、今日は入院前の診察と、諸々の説明があった。

今日の予定は、盛沢山だったので、頑張って自転車を漕いで
受付した時間は 07:12。

 ・採血 (11番ゲット!)
 ・レントゲン
 ・心電図
 ・09:30 消化器外科、診察 (1番ゲット!)
 ・10:30 消化器外科、入院説明
 ・11:30 麻酔科
 ・入院受付
 ・お会計

採血の番号札を取って、採血開始の8時まで、館内のスタバで朝食を摂った。
採血は早く済んで、次のレントゲンも、心電図も待たずに終了。
ただし、採血の結果が出るまで診察にはならないし
そもそも先生は09:30まで、入院病棟で回診対応がある。

消化器外科の前で、ほぼ1時間、漫画『ベルサイユのばら』を読んで
泣きながら呼ばれるのを待った。

診察では、良好な血液検査結果に満足したが
手術後の診察が、お休みの日と被ってしまうため
その分、シャワーしかダメな期間が1週、延びてしまった。

注意点としては、手術後、重いものを持ってはダメ、力を入れてはダメ、
咳とかくしゃみとかも気を付けないと、傷口から腸が出てしまう事があるとか!
そんな恐ろしい事を言う割には、歩行は推奨。
痛みは、筋肉痛を想定すると近しいらしいけれども「本当か?」と思う。

乳がんで処方されているホルモン剤『エキセメスタン』は
停止せず服用して良いそうだが、昨年年末から始めた『免疫ケア』は
24日から停止せよ、との事。
せっかく調子が良くなっているのに残念だ。

本日のお会計、4,400円。
入院保証金、10万円。

乳がん手術日を0として本日805日目、ホルモン剤治療790日目、放射線治療終了後744日目。
骨折から614日目、手術日から607日目、ヒビ488日目、腸に穴疑惑165日目。

2023年内に「タモキシフェン」があと4錠残っていたが
せっかくなので2024年の元旦から新しいお薬に変更してみる事にした。
今年からは『エキセメスタン』。
1錠のサイズは小ぶりになった。

『エキセメスタン』服用3日経過。
2日目に慣れない唇のしびれが少しあったものの、今のところは
落ち着いている。
このまま受け入れてくれる事を祈る。

ちなみに、半月くらい前からは
キリン iMUSE 免疫ケアサプリメント(プラズマ乳酸菌)』4錠/日も服用し始めた。
今年は免疫力をアゲたい。

さて、「タモキシフェン」では、その副作用で子宮内膜が厚くなってしまったが
お薬を変更したら、元に戻るのだろうか。
半年後くらいに婦人科検診をセットしたいところ。

乳がん手術日を0として本日786日目、ホルモン剤治療771日目、放射線治療終了後725日目。
骨折から595日目、手術日から588日目、ヒビ469日目、腸に穴疑惑146日目。

先日の2年目検診結果を聞きに行った時に
数日前から左の肋骨のあたりに圧がかかると痛いと報告したが
先生には「わからない」と言われたヤツ。

今は痛みが無くなっている。
明らかに左乳房の下の肋骨あたりからスタートして
日々側面を遷移しながら脇の下へ。
更に遷移して肩甲骨のあたりへ行って
最後はうなじから耳の後ろあたりで消えた。
2週間くらいかけて線状に遷移していった謎の痛み。
もしかして、これは帯状疱疹なのではないか。

虫垂炎治療の抗生物質が合わなかった時から、だいぶ免疫機能が弱ってしまった。
そこで虫垂炎再発。
その後、ノロを喰らって、間違いなく弱った身体に帯状疱疹なのでは?

帯状疱疹に関しては、予防接種を検討していたところ。
少し元気になったら、予防接種しようと思った。

調子が悪いとは思っていたが、嘔吐と下痢。
20年前の牡蠣あたりを思い出した。
また24時間体制でトイレに籠るのか…死んでしまうかもな…と思いつつ
リバースは1回だけで済み、おなか「ゆる」も数回で止まった。
こんな軽いノロがあるのか!と思いつつ
数日後、少人数で断れなかった忘年会へ出席した。
幸いノロウイルスの菌は、1-2日程度しか潜伏しないとの事で
感染す心配もなくなるのだそう。

とは言え、油断して、セーブしようと思っていた量よりも
多少多めに飲んでしまった。
そこから、日を追うごとに調子が悪い。
また虫垂炎が再発したのではないか?
決まっている手術の予定が、順延されてしまう…。

恐る恐る病院へ行く。
血液検査をした結果、虫垂炎なら高いはずの白血球の数値は正常だった。
先生曰く

 ノロで腸が弱っているのでしょう、整腸剤をたくさん出します

そーか、腸が弱ると腰痛になったり、お腹が張ったりするのか…。
抗生物質を飲まずに済んで一安心。

処方箋を持って薬局へ。
2錠/回 × 3回/日 × 14日分。
はじめに出て来たのは24錠、足らない旨を伝えると
次に出て来たのは48錠…。
人の事は言えないが、算数できない子か!
結局「84錠だと思いますけど」と伝えた。

乳がん手術日を0として本日770日目、ホルモン剤治療755日目、放射線治療終了後709日目。
骨折から579日目、手術日から572日目、ヒビ453日目、腸に穴疑惑130日目。

年1で胃カメラをしている。
私が通うクリニックは、全身麻酔を行うためオエオエしない。
横になって、気づくと、クリニックの傍らで横になっている。

タイトルなし
「B」「F」「N」に丸はあるものの、今のところ問題はない。
優しい先生に、愛嬌のある看護師さんたち、とても良いクリニックだと思う。
5,080円なり。
また来年。

乳がん手術日を0として本日768日目、ホルモン剤治療753日目、放射線治療終了後707日目。
骨折から577日目、手術日から570日目、ヒビ451日目、腸に穴疑惑128日目。

検査から1週間、複雑な思いのまま2年目の検査結果を伺う日を迎えた。
先生から説明いただいた内容はこちら(↓)。

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特に問題はないですねー、良かったですねー。
えーっと、腫瘍マーカー、乳がんの数値は異常ありません。
中性脂肪は少し高め。
あと女性ホルモンは、もうほとんど出ていないので
今、生理とか1年くらい無いですかね。
じゃあ、そろそろお薬とか変えた方がいいかも知れませんね。
お薬、どのくらい余ってます?

 私:20日分は無いです

今年いっぱいは、今のお薬飲んでいただいて
それが終わったら新しいお薬にしましょうか。
今度はこちらですね、閉経後のかたが飲む薬に変わって行きますので
ほとんど副作用的には変わらないと思いますけどね。
ちょっと手が強張るとかね、そういう事を仰るかたがいらっしゃいます。
それはやってみないと分からないですね。
1ヶ月分くらい、お試しで出してみようか。
次回1月の末くらいに来てください。
あ、マンモグラフィー、超音波、特に問題ありませんでした。
次回、診察前に採血してください、変な副作用が出てないか確認します。
問題が無かったら、もう半年分くらいお薬を出しますので。

 私:1月の末に虫垂炎の手術をするんですが、何か問題ありそうですか?

あ、そーですが、いや、問題はないです。
何回も繰り返してるって事?

 私:再発1回して、やっぱり切っちゃいましょうとなりました。

どちらで切られます?

 私:聖路加病院です。

腹腔鏡ですよね。

 私:はい、そうです。
   あと、最近ちょっとアバラが痛いんですけど
   何か関係ありそうなものあるでしょうか?

いやー、ちょっと分かんないですね、もしあれだったら骨のシンチとか
撮ってみるとか無いですね。腫瘍マーカーとか上がってないので何とも言えないですけど
続くようだったら、骨の検査ね、やろうと思います。
どのあたり?

 私:このあたり…

ちょっと何とも言えないですね。
じゃあ1月の時にもう一度聞きますね。
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2年目もシロ。
傷も診ないで終わりました。
穏やかでのんびりした感じの怖くない先生で良かった。
とは言え、今度は虫垂炎の手術か…、とほほ。

本日のお会計、1,840円。

乳がん手術日を0として本日764日目、ホルモン剤治療749日目、放射線治療終了後703日目。
骨折から573日目、手術日から566日目、ヒビ447日目、腸に穴疑惑124日目。




1年目の検査から、更に1年経過して、本日2年目の検査を迎えた。
前回同様、採血とマンモグラフィーと胸部エコー。

マンモグラフィーでおっぱいを挟む。
今日の私のおっぱいは、痛いを10、痛くないを0とすれば
切っていない方が2、切った方が3くらいだった。

胸部エコーも前回同様、手術した方に時間がかかる分だけ
恐怖心を煽られる。
今日のお会計、5,570円。

エレベーターを待っている間に、いつか死ぬ時が来たら
この建屋で死ぬのかも知れないな、と思った。
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乳がん手術日を0として本日757日目、ホルモン剤治療742日目、放射線治療終了後696日目。
骨折から566日目、手術日から559日目、ヒビ440日目、腸に穴疑惑117日目。

抗生物質の投与で、気持ち悪くなることもなく、無事に鈍痛も張りも無くなった。
また痛みが出る可能性はあると言われ、やむなく「切る」決断をした。

この不発弾を抱えている以上、ビールの量を増やせないストレスが何よりも強い。
もちろん、乳がんの原因の1つでもあった飲酒量を減らすのも大切なのは分かっているけれども
これ程までに飲めないのは、大袈裟なようだけれども虚無感がある。

先生と決行日の相談をして、来年の1月末にした。
おそらく2泊3日、入院日に切って、翌日様子を見て、3日目の朝に退院準備だそうだ。
腹腔鏡手術と言えども、切るのだから、痛くない訳がない。
怖いけれども諦めよう。

切るまでの間には、乳がんの2年目検診がある。
胃カメラの検査もある。
慌ただしい年末年始が待ち受けている。

乳がん手術日を0として本日749日目、ホルモン剤治療734日目、放射線治療終了後688日目。
骨折から558日目、手術日から551日目、ヒビ432日目、腸に穴疑惑109日目。


 

朝起きて、おなかに違和感があった。
痛みとかではなく、少し張っている感じ。
それも虫垂炎の症状だと理解していながらも、なお認めたくない。

違うと信じて仕事をする。
午後になって、少し熱が出始めて、やっぱり「違くない」と受け入れた。
病院へ電話。

 最速でも11月6日の予約ですね

電話の人に罪は無いと分かっていながらも、ため息が出た。
午後の仕事をリタイアして、横になった。
38度まで熱が出て、やむを得ず、また救急で病院へ向かった。

血液検査とCTで、前回同様、虫垂の炎症でしょうとなり
危うく入院させられそうになったが、点滴と投薬で帰宅できる事になった。

救急外来は、私のように症状が軽い人ばかりではない。
簡易なベッドで点滴を落としている間にも、救急車のサイレンが鳴り響き
バタバタと慌ただしい気配が感じられ、大声で助けを訴える人や
ただ泣き叫ぶ人がいる。

帰りのタクシーで考えた。
おなかに違和感がある程度で、こんな所にご迷惑をかけてはいけないのだ。
投薬で落ち着いたら手術を受けよう。

虫垂炎の症状が出て、それが虫垂炎なのだと分かるまで
思い起こせば、数年間、似たような症状が時々発生していた。

スタートはいつも腰痛だ。
家で仕事をしていて腰が痛い事が多く、椅子のせいだと思っていた。
在宅勤務も増えた事だし、ちゃんとした椅子を買った方が良いのでは?と真剣に考えていた。
PMSのせいでは?とも考えた。
特に数日で良くなっていたため、婦人科に行った時にでも相談してみようと思っていた。

次に、軽い腹部の鈍痛。
場所はいろいろだったが、日頃からアルコールのせいでお腹がゆるい。
またその痛みだろうと気にしていなかった。

そんな腰痛→腹痛→治る、を繰り返していた原因は、虫垂だったのかと
今では思えるようになった。

そして今、覚えのある痛み、しかも先月の記憶の痛みが、私の右下腹部にある。
先月完治したばかりなのに、絶対に認めたくない。
寝れば治ると信じて、寝る事にした。

内視鏡検査から1週間後、先生のお話を伺いに行った。

当初から先生は「切る」「切る」とおっしゃっていたので
覚悟はしていたが、なんと

 次、また痛くなったら検討しましょう、これで一旦終わりです

との事。
お薬も、残存分を飲み切って終了。
あとは、気持ち悪さが完璧に取れれば、元の生活だ。

乳がん手術日を0として本日686日目、ホルモン剤治療671日目、放射線治療終了後625日目。
骨折から495日目、手術日から488日目、ヒビ369日目、腸に穴疑惑46日目。

看護師さんに着替えを渡された。
ネイビーの不織布のパンツは、短パンくらいの丈があるが
お尻の部分には直径で言えば15-20cmくらいの穴が不自然に開いている。
その上から、七分丈くらいの普通のパンツ。
上着は、着物のように合わせて紐詰めする、よくあるタイプの検査着だった。

不安なまま5分くらい、お尻に穴の開いたパンツを履いて待っていた。
「2番のお部屋へどうぞー」

2番のお部屋には、細い男性の先生と、看護師さんが2名。
先生「内視鏡は初めて?」
私「はい、初めてです」
看護師さん「ズボンを下げて、左を下にして横向きになってください」

お尻に穴の開いた状態で、言いなりになる。
先生「ちょっと麻酔を塗りますよ」

『ギャっ!』と心の悲鳴。
塗ると言う言葉のイメージとはかけ離れていた。
見えていないけれども、親指にワセリンか何かをつけて、瞬時に
突っ込んだのだろう的な感じだった。

私の動揺を気にする事も無く、黒くて細いホースのようなものを
大腸の一番上まで入れて行き、抜き出しながら細部を診て行くと説明。
無情にそのホースが体内に入れられていった。

看護師さん「はい、正面を向いて、左足を立てて、右足を上にして組んでください」
もとから左右は苦手だが、穴の開いたパンツで、ホースを突き刺された状態で
正しい判断なんて出来る訳がないのに、なんとなくの対応は正しかった様子。

確かに大腸は直線ではないから、カーブのあるところで少し違和感がある。
順調にホースが入っていく。
先生「はじめて?」
私「はい、そうです」

その質問は2回目。
先生の職業病的な口癖なのか、初めての割には順調なのか、その逆にやりにくいのか。
あれよあれよの間に、最終地点まで到着したとの事。
あとは、引き抜きながら確認していただくだけだ。

それにしても、その黒いホース、どれだけ優れモノなのか分からないが
多分、水も出せるし、吸い込むことも出来る様子。
終始、じゅぼぼぼ、じゅぼぼぼ、と音を立てていた。

モニターは私からも良く見えて、50年も生きてる中年女性の腸でも
こんなに綺麗なのだなと、身体の機能の素晴らしさを噛み締めた。

先生「終わります」
看護師さん「拭き取るのでそのままにしていてくださいね」

不自然な穴を検査着で整えていると、看護師さんが
その黒いホースを綺麗にしているのが見えた。

そのお部屋のまま、先生のお言葉をいただく。

 腸に全く問題はありません。
 とても綺麗な腸です。
 虫垂の中までは見えないですが、入り口は全然問題ありません。

まずは一安心。
1週間後に主治医の先生と「切る/切らない」を決める。

乳がん手術日を0として本日679日目、ホルモン剤治療664日目、放射線治療終了後618日目。
骨折から488日目、手術日から481日目、ヒビ362日目、腸に穴疑惑39日目。

夜中に起きる事も無く、普通に起床。
別段、おなかも痛くなく一安心。

当日の予定としては、まず与えられた2リットルを飲み
排便を繰り返して、下図4番のイメージになれば、病院へ電話報告だ。
キャプチャ (2)

いざ、8時から2リットルチャレンジ、スタート。
人の便の状態になんて興味は無いと思うが、記録好きなので記載する。

 08:00 1回目 200ml 服用 有難いことに、ありがちなアイソトニック飲料の味だった
 08:10 2回目 200ml 服用 何も変わらず
 08:20 3回目 200ml 服用 何も変わらず
 08:30 4回目 200ml 服用 何も変わらず
 08:40 5回目 200ml 服用 何も変わらない事に焦りを覚える
 08:50 6回目 200ml 服用 おなかが多少動き出す
 08:56 排便1回目 イメージ2
 09:00 7回目 200ml 服用 1.5リットル近く飲んでいるのに苦痛が無い
 09:02 排便2回目 イメージ2
 09:10 8回目 200ml 服用
 09:12 排便3回目 イメージ2
 09:18 排便4回目 イメージ2.5
 09:20 9回目 200ml 服用完了 正しくは1.8リットルでした
 09:22 排便5回目 イメージ2.5
 09:27 排便6回目 イメージ2.5
 09:31 排便7回目 イメージ3
 09:34 排便8回目 イメージ3
 09:48 排便9回目 イメージ3 イメージ3を脱出できない焦りを感じる
 09:52 排便10回目 イメージ3 立ったり座ったりして腸に刺激を与え出す
 09:59 排便11回目 イメージ3.5
 10:06 排便12回目 イメージ3.5
 10:12 排便13回目 イメージ3.5 イメージ4にならず不安しかない
 10:19 排便14回目 イメージ4 イメージ4と言い切れるか不安が残る
 10:27 排便15回目 イメージ4
 11:27 排便16回目 イメージ4 何とか達成できた模様

病院に電話して、12:10病院入り、12:30検査となった。


大腸の内視鏡検査は、3日前から準備が始まる。

消化の悪い食べ物を食べてはならないそう。
繊維質がある野菜、ごぼう、きのこ、種のある果物、
ナッツ、こんにゃく、海藻、え蕎麦、納豆、雑穀米はダメ。

では、何なら食べてもいいのだ???
素うどん、おかゆ、食パン、ささみ、お豆腐、
切り身のお魚、貝、揚げ物、たまご、プリン、ゼリー、乳製品、
鳥のから揚げ、フライドポテト、親子丼、かつ丼、カレーライスはOK。

うーむ、食べていいものが微妙だが、元々気持ちが悪かったので
おかゆやお豆腐、プリン、ゼリーくらいしか食べられなかったので
ちょうど良かった。

検査前日の食事は19時までに済ます。
そして21時には、病院で処方される点眼液くらいのサイズの下剤を飲む。
冷たいお水200mlに、その下剤をすべて入れてよく混ぜて飲む。

まずは、味見に1口。
不味い…、人間が口に入れて良い味ではない。
ただでさえ、おなかが緩いので、冷たいものを急に入れたくはないが仕方ない。
味わえない速度で飲み切って、即、ぬるいお茶で何事も無かった風にした。
下剤とは言え、21時に飲むと、翌日の起床後に便意を催すのだそう。

そして、約2リットル入る、薬品?の入った特殊なビニール袋に
お水を入れて冷蔵庫に入れる。
明日の朝8時から、10分おきに200mlずつ飲んでいくために。
約2リットルも飲むのだから、どうか不味くありませんように。

ずっとおなかが緩いとは言え、不味い下剤も飲んだ訳なので
念のため、パンツを重ねて履いて寝る事にした。



今まで、こんなに副作用にダメージを受けた事は無かったが
その状態が続くと、心境にどんな変化が起きて行くのか分かった。

 ■気持ち悪い初期
  極力、気を紛らわして「気持ち悪くない」と自分に暗示をかける
 ■気持ち悪いまま1週間経過
  集中力欠如、ゴロゴロしたがるがTV等は普通に見られる、食欲減退
 ■気持ち悪いまま2週間経過
  集中力ゼロ、誰とも接触したくない、起きていられない、食欲なし
 ■気持ち悪いまま3週間経過
  軽いうつ状態、映像や音にも嫌悪感あり、食欲なし、生命の危機を感じ始める
 ■気持ち悪いまま4週間突入
  寝たきり、常温の水以外は吐く、死を意識し始める

私の場合は、3週間目から4週間目にかけてお薬を変更したため
4週間目の後半には回復できた。

抗生物質を変更。
変更前:『バナン錠』『フラジール内服錠
変更後:『オーグメンチン配合錠』『アモキシシリンカプセル』+『ノバミン錠

 9月09日 変更後の抗生物質を服用開始。
 9月10日 船酔い状態変わらず、食欲なし、下痢、舌異常、味覚異常
 9月11日 船酔い状態変わらず、食欲なし、下痢、舌異常、味覚異常
 9月12日 車酔い状態へ改善、食欲少し、下痢、舌異常、味覚異常
 9月13日 車酔い状態も少しずつ軽減、食欲少し、下痢、舌異常、味覚異常
 9月14日 車酔い状態もほぼ軽減、食欲やや回復、下痢、舌異常、味覚異常
 9月16日 気持ち悪さはほぼ緩和、食欲回復、下痢、舌異常やや回復、味覚異常やや回復
 9月17日 気持ち悪さなし、食欲復活、下痢、舌異常やや回復、味覚異常やや回復

一度体内に入ったお薬の影響は、結構長いものなのだなと実感した。
気持ち悪さが改善したのは、この世の闇が晴れたよう。

真っ先に浮かぶ言葉『気持ち悪い』を継続しつつも
またお腹が張って、熱が出始めた。
仕事の打合せが終わるのを待って、救急外来へ電話して
またお邪魔する事になった。

今回は、元気の良いお若い先生だ。
症状を伝え、採血を実施。

 採血とCTで2回刺さなくて良いよう、点滴用の針で採血しましょう

内心、気の利いた先生と思っていたが、しばらくして
その点滴の針の部分に一瞬激痛が走ったが、みなさんバタバタしているので我慢しようと思った。
いざCTへ。
万歳のスタイルをとるよう指示され、また痛みが走ったが我慢。

 次は造影剤を流します!

造影剤をセットしてスイッチを入れたがエラー音発生。
点滴から造影剤が流れない。
慌てて、刺しなおして良いか内部で相談している先生。
結局、反対側の腕に点滴の針を刺す事になった。

 はい、造影剤流します!

またエラー音と共に、腕にこぼれる造影剤。
焦り気味に針の部分を、先生が上から圧を掛けた。
内心ギャーと思いつつも、慌てている者に何を言っても無駄だろうと
やっぱり我慢する事にした。
こぼれた造影剤は、砂糖水のようにベタベタしていた。

その後、多分、発熱による寒さと戦いながら、検査結果を待った。
待っている間に、元気の良い若い先生が仲間内に愚痴っていた。

 まじ血管ない、こんな失敗をしてしまった、あーもう今日はダメだ

私はハズレを引いたのだと確信した。
その後、しばらくして、今までとは別の抗生物質をいただいて
その日は帰宅する事が出来たが、気持ち悪さも最高潮だった。

乳がん手術日を0として本日669日目、ホルモン剤治療654日目、放射線治療終了後608日目。
骨折から478日目、手術日から471日目、ヒビ352日目、腸に穴疑惑29日目。


処方いただいた抗生物質は『バナン錠』と『フラジール内服錠』。

8月17日から服用を開始して、不調が現れ出したのは5日後くらいから。
ずーっと薄っすら気持ちが悪い状態で、おなかも緩い。
でも我慢出来るレベル。
なるべく気にしないように心掛けたものの
8月末には食欲減退や舌や味覚の異常も追加。
明らかに衰弱してきていた。

9月に入った頃には、ほぼ水分補給だけとなり
耐えられなくなった私は病院へ電話を入れ『フラジール内服錠』を
勘弁してもらう事になった。
当初、先生は「車酔いのような症状が出る場合がある」と仰っていたが
そんなヤワなものではなく『船酔い』だ。

自分では当初『バナン錠』が起因しているものと思っていた。
口にしてはならない様な異物臭があり、慌てて飲まないとリバースしてしまいそうな
得体の知れない風味だった。
これが原因なのではないかと思っていたため、通常、食後に服用するのを
あえて食事の途中に服用し、胃からその臭いがしないよう
サンドする手法を取ったりしていた。
フラジール内服錠』は、糖衣錠なので分からなかっただけなのかも知れない。

フラジール内服錠』の副作用は、いただいたお薬説明書によれば
こちら(↓)のような症状との事で、見事パーフェクトを達成。

 舌に白いこけ様のものが付着する ← 該当
 食欲がない ← 該当
 気持ちが悪い ← 該当
 胃の不快感 ← 該当
 下痢 ← 該当
 腹痛 ← 該当
 味覚異常 ← 該当

肝心の虫垂炎疑惑どころか、違う意味で生命の危機を感じたため
病院に電話相談をして『フラジール内服錠』を中断した。

乳がん手術日を0として本日668日目、ホルモン剤治療653日目、放射線治療終了後607日目。
骨折から477日目、手術日から470日目、ヒビ351日目、腸に穴疑惑28日目。

朝ごはんも美味しくいただき、元気に退院を迎えた。
お腹の張りも引いて、痛みも全くない。
荷物を纏めて、いざ高級病院6泊7日のお会計へ。

 356,000円也

内訳は当然ながら、自費分が21万円。
これを旅行に使えたら、どれだけ豪遊出来た事か…。

今後の予定は、抗生物質を服用しながら約10日後に経過観察。
9月18日(祝)に内視鏡検査、9月25日(月)に内視鏡の結果確認となった。

どうやら先生の言葉の節々から「先行性虫垂炎」疑いなのであろうと察した。
先生は切る気満々だ。

乳がん手術日を0として本日647日目、ホルモン剤治療632日目、放射線治療終了後586日目。
骨折から456日目、手術日から449日目、ヒビ330日目、腸に穴疑惑7日目。

4.5日間、点滴し続けて、残りの2.5日間は、点滴をしたりしなかったり。
キャプチャ (2)
この場所の点滴は、手首が少しでも反るととても痛い。
看護師さんが変わる度に「もう少し腕側に変えられないですかねー」と呟くも
みなさん苦笑いで、自分には言わないで感がひしひしと伝わって来た。

手首を少しも反らさないようにすればいいのだけれども
気を抜くとすぐ息を吸い込むような小さな悲鳴が出た。
お肉の無いところに点滴をすると、異様に冷えて痛みが増す。
骨の髄まで冷える感覚で、とてもつらい。

我慢し続けて6日目の夕方、ついに腫れてしまって、我慢しがたい痛みとなった。
看護師さんに、その旨を告げると

 場所を変えないと!一度、抜きましょう!

6日ぶりに緊張から解かれた瞬間だった。
そして「この看護師さんは血管を狙うのが得意なのだろうか?」と思い
「もう少し上の方で射せるといいのですが…」とジャブを打ってみた。

 夜の看護師がやりますねー

なるほど、あなたは抜くだけなのですね…。
針の無い数時間は、深く眠りに落ちた。

夜の看護師さんが来た。
落ち着いた感じの人だ。
保温材を布で包んだもので、腕を温めておけ、血管が拡張するように、とのこと。

いざ、血管を探す。
なんとか血脈に辿り着いたようだ。
キャプチャ (2)
無事に害のない場所となった、結果的には残り半日程度だったけれども。
はじめから、ここにしてくれれば、シャワーも快適に浴びられて
両手で髪も洗えたものを…。

とは言え、夜担当の看護師さん、ありがとうございました。

聖路加国際病院には、小洒落た屋上庭園があって、入院していても
体調さえ良ければ、お散歩が出来る。
階段の他にスロープもあって、点滴スタンドを押しながらも、足を動かす事が出来る。
り
とても整っていて、美しい庭園だ。
私の入院のタイミングは、残念ながら台風が到来していて
熱が下がっていて、ヘビーな点滴の時ではなくて、その上、お天気の時と言うのは
なかなか少なかったけれども、雨上がりの庭園は、蒸しているものの
キラキラしていて緑が綺麗だった。

一方、私のお部屋には、上司がお見舞いに来てくれた時のお花がちょっこり。
よ
植物があると、なんとなく元気を分けてもらえる気がする。

どんなものかは知っているものの、なかなか口にすることの無い流動食。
断食道場後、初のランチは、こんな感じだが
この時点ではまだ点滴で栄養剤を流していた。
り
やさいスープは、具の無いやさしいお味の野菜スープ。
梅昆布くず湯は、梅昆布茶に片栗粉を入れてトロみをつけたもの。
ヨーグルトジュースは、想像通り。

意外だったのは「白身魚すり流し・」(笑)
白身魚とお出汁をミキサーにかけて、味を調えたものなのだろうけれども
結構な美味しさ。
これはこれで、煮たお野菜のソースにしたらとても合いそう。

水分ばかりで、おなかはタプタプに満腹となった。

熱が出て入院した訳だけれども
点滴に繋がれた絶食中の私は、ただひたすら眠る。
人はこんなにも眠れるのか?と言う程、眠った。
「只管打坐」ならぬ「只管落眠」か。

何もせずとも疲労感があるのは、私の体内が戦っているのと
手の甲の点滴の針が、私に緊張感を与えているからだ。

 眠る、点滴で起こされる
 眠る、検温等で起こされる
 眠る、救急車で起こされる
 眠る、お掃除で起こされる
 眠る、タオル交換で起こされる
 眠る、レンタルパジャマ配布で起こされる
 眠る、朝日で起こされる

身体が疲れているのもあるが、しっかり眠れていないだけなのだなと思った。
せっかくの高級個室なのに、寝ているだけなんて勿体ない…。

早く元気になって、お金のかからない我が家でぐっすり寝ようと
考えながら眠りについたのでした。

熱もあり、お腹も張っていて、当然、食欲なんて無い。
入院当日のお昼も、食べたくなかったが、少しでも食べた方が良いのでは?と
無理くり食べた程だった。

 しばらく絶食して腸を休めましょう

そんな状況だったからか、絶望感もなく受け入れることが出来た。
絶食と言っても、点滴はしているし、水分も摂れる。

実際の絶食期間は

 8/11(金) 夜
 8/12(土) 朝 昼 晩
 8/13(日) 朝 昼 晩
 8/14(月) 朝

これだけだったが、空腹を感じた事はゼロ。
「全然栄養が足りていない」と言う事で、カロリー高めの点滴も開始。

本当の事はよく分からないが、私はただ寝ているだけでも
私の中の白血球たちが一生懸命働いているのだろう。
熱が下がるまでは、何もせずとも疲労感があった。

元々細くないものの、抗生物質が功を奏して
少しずつ「太ったのではなく腫れいてたのだ」と実感。
絶食つついでに、悪い私も空っぽになれば良いのに。


救急外来で、点滴を打つ。
左右の腕から採血も実施。
例によって、細く逃げやすい私の動脈の不人気さと言ったら半端ない。
今回も手の甲に針を刺された。
おなかの鈍痛より、よほど痛い。(泣)

しばらくすると主治医(となる)の先生が来てくれた。

 強い抗生物質を入れて治まりを待ちましょう、今日から入院です

え!?今「今日」って言いましたか?
ラブストーリーでも無いのに『ラブ・ストリーリーは突然に』が脳裏に流れた。

世代だなぁ(笑)

入院なんて、想定していなかったけれども、資本の身体の事となっては仕方がない。
身内にいろいろ用意していただく事に。

骨折の時は5Fのお部屋だったが、今回は7Fだ。
なんとなく勝手にデジャブ風だと思いつつ、今回の入院先が消化器外科であると知る。

乳腺外科、整形外科、消化器外科…。
外科3部作か。

聖路加国際病院の救急外来に来るのは、実は2度目。
もう10年以上前に、近所の有名な鳥屋さんで焼き鳥を購入し
家で一人飲みをしていた日の夜、概ね全身に湿疹が出て、熱が出始めた。

顔にもたくさんの湿疹が出ていたため、Webで救急外来を調べて
夜中に一人、聖路加国際病院の救急外来へ行った。

さすが聖路加国際病院だけあって、救急車で搬送される人が引っ切り無しだ。
待合室で小一時間待って、状況を説明。
夕食に食べた物を問われ「ビール、焼き鳥、枝豆だけ」と伝えた記憶がある。

あっと言う間に点滴が始まり、しばし睡眠。
目が覚めた時には熱も下がっていて、その後、先生から出た言葉は「カンピロバクター」だった。

そして今回、受付を済まし、意外と待たずに診察室へお声がかかった。
近所の婦人科で、膀胱炎・腎盂腎炎・卵巣腫瘍の疑いと言われた事
腹痛と熱の遷移、2年前の乳がん、1年前の骨折、自分で説明しながら
ここ最近の病院沙汰の多さに呆れていた。

 とりあえず点滴しましょう

熱があるから仕方ないが、点滴となると
「どうか点滴用の動脈探しのプロでありますように」と祈る。
私の動脈は看護師さん泣かせで、細い上に、逃げてしまうタイプなのだそう。
ひじの内側から何度か試みるものの、血液は湧いてこない。

最終的には、やはり手の甲。
痛いです。(泣)





体調が良くない、微熱もある、食欲もない、変わらず右下腹部の鈍痛がある。
でも、先日の処方された抗生物質がまだ飲み切れていないし、明日には次の予約を入れている。
なにより、今日は祝日だ。

休日対応の病院を受診すべきか?
ひと通り休日対応の病院を探してみたが、そもそも何科を受診すべきかが分からない。
骨折した時の言葉を思い出した。

 ほらなー、だから救急車を呼べば良かったんだよ

確かにそーかも知れない。
ただ、普通に喋れるし、激痛もないし、不安なだけなので、こんな時こそ
救急安心センター事業(#7119)ではないか!!

まず、Webで要件を伝えてみたが、微妙だったため、電話に切り替えた。
落ち着いた女性が出て、経過や症状を伝えると『救急外来』へ行け!とのこと。
5つの病院を選択肢として提示され、一番近い、既に診察券を保有している病院へ行くことにした。
(病院への事前連絡は、別途自分で行うのだそう)

取り急ぎ、大きな不安は1つ解消された。
「119」に敷居の高さを感じる時、「7119」はとても有効と思える。
人生100年時代、折り返し地点を過ぎた私に、信頼できる仲間が一人増えた感覚。
詳細はこちら(↓)。
救急安心センター事業(#7119)をもっと詳しく!

出張で新幹線に乗った。
世間は夏休み中という事もあり、ほぼ満席、且つ、車内は大変賑やか。(;^_^A

品川から乗って、三島を過ぎる頃、少々冷房が効き過ぎではないか?と思って
スーツの上着を羽織った。
そのタイミングで、賑やかな原因でもあった、後ろのお子さんが「寒い」と言っていて
そーだ、みんな寒いと思っているのだろう、と思いつつ、睡魔に飲まれていった。

京都に着く。
上着を着ていても、駅構内はとても暖かくて快適だった。
私鉄に乗り換えた。
そこでも上着は脱ぐ程でもなかった。
目的の駅について、今度はバスを待つ。
突然のスコール、蒸し器の中にいるようだったが、まだ暑くはなかった。

仕事を終えて、来た道を戻る。
帰りの新幹線では、浜松を過ぎたあたりで、身体が寒さでガタガタ震えた。
周りはおっさんばかり、参考になる指標がない。
行きも寒かったから仕方ない、夜だから、更に冷えるのだろうと思っていた。

思えば、あれは空調の効き過ぎではなく、私が発熱していたのだと思う。
風邪の発熱と違って、腰回りだけが異様に冷えた。
新幹線は、きっと快適な空調にしていたのだろう。

自宅へ戻り、何とか手掛かりが欲しい一心で、近所の休日も開いている婦人科を受診した。

婦人科だけに、あの椅子に座る。
中、問題なし。
卵巣、ちょっと片方が大きいそうで卵巣腫瘍の疑いも視野に入れた方が良いとのこと。
押すと痛い場所は腎臓、という事で、尿検査を実施。
1691930075217-0
この結果から、膀胱炎が疑われ、まずは抗生物質で様子を診る事となった。

この時点で、疑われたのは
・膀胱炎
・腎盂腎炎
・卵巣腫瘍
だった。

「明日帰る」と母に伝えた予定日の前夜、鈍痛だが不快な右下腹部痛と
その背中側にあたる部分の腰痛で、ほぼ眠れなかった。

そのせいもあって、朝6時くらいの電車で、実家へ向かう。
重いリュックを前に背負って歩くと下腹部に当たって痛かった。
実家で居眠りを繰り返し、都度、起き上がろうとすると、何となくいつもよりすっと起きられない。
お座布団でもおなかに巻いたような重圧感があった。
母には到底言えないため、いつも通りに振舞った。

太ったのか?とか、こんなに急に太るか?とか、ずっとずっと心の中で考えていた。

足首の骨折の、最後の診察日だった。

いつも通り、受付を済ませレントゲン室へ入ったが、少し様子が違う。
立ったまま足首を両側から撮影して、いつもは終了なのに
ベッドに寝てくれと言う。

 5分くらいで先生が来ます

え!?先生が診察中に、わざわざレントゲン室へ???
しばらくすると先生が来て、冷たい手で私の足首を捻った状態で撮影。

 では、またあとで!

「あとで」と言うのは診察室でと言う事だ。
例によって、待つ事1時間弱。
足の様子を確認して、エコーで靭帯を確認して、晴れて卒業。

先生の診察の待ち時間が長いのは、話好きだからだと思っていたけれども
レントゲン室に行ったり、きっと他にもいろいろしていたのでしょう。
白衣のポケットがパンパンなのも、お洋服の随所が汚れているのも
最後の最後でやっと、だらしないのではなく、そういうお仕事なのだと理解しました。
紹介状なしの患者を受け入れてくれて、ありがとうございました。

先生の最後の言葉は「もう怪我しないでね」でした。
タイトルなし
乳がん手術日を0として本日606日目、ホルモン剤治療591日目、放射線治療終了後545日目。
骨折から415日目、手術日から408日目、ヒビ289日目。

がんになった事をきっかけに、とある授賞式で表彰していただいた。
賞状や楯なんて高校生以来だ。

いいお天気で良かった。
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乳がん手術日を0として本日585日目、ホルモン剤治療570日目、放射線治療終了後524日目。
骨折から394日目、手術日から387日目、ヒビ268日目。

ひょんな事から、賞状をいただく事になったと母に漏らした事をきっかけに
乳がんの手術をした事を白状した。

既に1年半が経過していたこともあり、驚かせてしまったけれども
事あるごとに「初期なら問題ない」と言い続けて来た伏線が功を奏し
また、私の元気な現状を見て安心したようだった。
キャプチャ (2)

本当は、保険への加入を勧めてくれた事への感謝の気持ちや
いただいた身体に傷をつけてしまったことを謝罪をしたかったが
骨折でもう傷があるのはバレていたし、ありがとうなんて言ったら
私が泣いてしまうだろうと思えて、言えなかった。

50も過ぎたいい大人でも、子供が賞状をもらったりするりは
未だに母は嬉しいらしく、そんな事で喜んでもらえるなら
学生の頃にいただいた賞状とかも、即捨てしないで母に見せれば良かったなと思った。

さて、手首は、ほぼ気にならなくなって、今や頬杖さえつけるようになった。
何もせずとも骨折は治るとは、こういう事なのかと実感した。
とは言え、足首の骨折はダメだったろうけれども。

乳がん手術日を0として本日566日目、ホルモン剤治療551日目、放射線治療終了後505日目。
骨折から375日目、手術日から368日目、ヒビ249日目。

たかが検診と思うかも知れないが「またガンと言われたら…」の恐怖が私を襲う。
いざ、病院へ。
待合室で手が震え出した。

結果は…
キャプチャ (2)
既に低い確率を当てた経験のある身としては、安堵で更に手が震えた。
(0円だけれども)お会計を待つ間、更に熱くこみ上げる安堵。
病院を出て、エレベーターに乗った時に涙がこぼれた。

またガンになる事を、心身ともに強く拒絶しているのだなと実感したが
忘れていたい気持ちと、覚悟しておかなければならない気持ちと、が入り混じる。

家に戻っても、しばらく涙がこぼれた。
精神的に張り詰めていたモノが緩和されたからかも知れない。

乳がん手術日を0として本日557日目、ホルモン剤治療542日目、放射線治療終了後496日目。
骨折から366日目、手術日から359日目、ヒビ240日目。

私の乳がん発見のきっかけとなった区民検診のお知らせが来ていた。
乳がん治療中の人は「乳がん検診」は対象外となっているが「子宮(頸)がん検診」は対象だ。

タモキシフェンを服用していると「子宮(体)がん」の罹患率が増えると聞いていたため
会社で受診する健康診断を12月、区民検診を5-6月に受診したら
いずれにせよ早期発見に繋がるでしょうと、さっそく子宮がんの検診を申し込んだ。

オプションでエコーも受診出来たため、漏れなくそちらも受診。
問診では、子宮がん検診は「子宮頸がん」の検診のため「子宮体がん」が心配なら
あらためて検診を申し込んでくれとの事だったが…。

 子宮内膜がかなり厚いですね
 子宮体がんの検査もやってしまいますね
 ちょっと電気が流れるようにピリっとしますよー
 はい、子宮ひっぱりますねー、少し我慢してくださいー

あの「あらためて」はものの3分も経たずに覆されたが
即検査をしていただけたのは有難い。
結果は19日だそう。

子宮って引っ張れるのか!?と思ったり
「きっとタモキシフェンの影響で子宮内膜が厚いだけ」と念を押され不安になり
細胞診をしたため「2-3日、出血がありますからね」と言われげんなりしたり
検査であろうが、またガンの疑いかと思うと複雑な心境が入り混じった。

先生の『きっとタモキシフォンの影響で…』を強く信じたい。

乳がん手術日を0として本日539日目、ホルモン剤治療524日目、放射線治療終了後478日目。
骨折から348日目、手術日から341日目、ヒビ222日目。

骨折した足首の検診の日だった。

最近は「骨折した」と言う事実を忘れてしまう程になっているが
先日、たくさんの階段を昇り、たくさんの階段を降りている途中で
瞬間的だが鋭利な痛みが走った。
骨折した骨側ではなく、内側の靭帯を損傷してしまった方だ。
その日から、ずっとではないが、かなり頻繁に「ピリリ」と痛みが走る。

レントゲン、全く問題なし。
先生に「靭帯を縫い合わせた方に、時々痛みがあって」と伝えると
どんな?と問われたから
「首を寝違えたような不快な痛み」と表現したのに
首?と少々笑われてしまった。

靭帯はレントゲンでは見えないため、エコーで確認したところ
表面上に腫れは無くても、縫合部はまだ幾分治癒途中で
固まっている部分が少々あるそうで、時間の経過で緩和するのではないか?との事だった。
従って、次回は7月、多分、次回が最後でしょう、と。

骨折後、初めて、病院の待合室の椅子の「コロナ対策」が消えていた。
ところで、手首のヒビは概ね完治に近い!
この不便さも長かったが、治って良かった。
キャプチャ
乳がん手術日を0として本日515日目、ホルモン剤治療500日目、放射線治療終了後454日目。
骨折から324日目、手術日から317日目、ヒビ198日目。

がんセンターの定期検診も5回目を迎えた。

執刀してくれた先生は、まだかろうじて在籍しているが
既に、後任の先生の対応となっていた。

「お変わりはないですか?」
 ― はい、別段ありません
「生理は止まっていますか?」
 ― はい、昨年の10月が最後です、今のところ
「ほてりや発汗はありますか?」
 ― はい、時々急に暑くなります
「異常ないですので安心してください」
「お薬はどのくらい残っていますか?」
 ― 5シート半くらいです
「随分残っていますね、処方を40日分にしましょう」
「次回は6/20にしましょう、その時に問題ないようであればお薬は180日分にします」
「11月の2年目検診もその時に予約します」
「お大事に」

先生が変わったせいなのか、同じでも5回目となればこんな感じなのかは分からない。
でも、先生が変わると処方の方針も変わるようで、以前の先生は
お薬のストックを1ヶ月分くらい持っていないと、何かあった時に困ると言っていたのに…。
見せたい訳ではないが、傷ももう診てくれなかった。640円なり。

私の勝手な思いとしては、やはり以前の先生に
がんセンターでの勤務を続けて欲しかったと思う。
先生、さようなら。
キャプチャ
乳がん手術日を0として本日505日目、ホルモン剤治療490日目、放射線治療終了後444日目。
骨折から314日目、手術日から307日目、ヒビ188日目。

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